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千代流は、千代地区の町内を中心に千代小学校と千代中学校の2校を加えた26の町内で構成されており、 地域のつながりと熱い想いを大切にしながら、毎年山笠行事に参加しています。 古くから住まれている方々と、近年の開発等により新しくこの地に住まれるようになった人々が肩を並べ、世代を超えて一つの山笠を支える――それが千代流の魅力であり、強さです。 それぞれの町内には、長い歴史や個性があり、山笠への関わり方にも特徴があります。ここでは、千代流を構成する全ての町内をご紹介致します。 |
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一丁目一区
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一丁目一区山笠愛好会は、千代一丁目15番地浅家地蔵尊に拠点を置く58名で構成している町内です。一丁目を拠点とする町内の中でいち早く活動していたそうです。浅家地蔵尊は、黒田藩が斬捨御免にした霊を祀っており、現在も千代町の歴史を伝承する憩いの場です。
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眞砂町
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私たちの町内「眞砂町」は、千代町東部の県道607号線(通称パピヨン通り)から南側に位置しています。代表的な施設として福岡市で唯一のアイススケート場である「オーヴィジョンアイスアリーナ福岡」と「パピオボール」が町内の中心にあり、山笠期間中は同施設の第2駐車場を利用させて頂き詰所を設営しています。 |
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一丁目三区
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千代流一丁目三区は、福岡市博多区千代一丁目のうち、パピヨン24ビルや千代公民館、千代老人いこいの家を中心とした一帯を指します。千代一丁目三区・四区自治会のもと、約70名で構成されており、若手からベテランまで幅広い世代が舁き手として活躍する、高い結束力を持った町内です。 |
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一丁目六区
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一丁目六区は、平成3(1991)年に大人7人・子供10人でスタートしました。旧千代荘町を由来とし、現在は一丁目六区自治会・アーベイン東公園自治会の協力の下、運営しています。参加者は、旧千代荘町からの縁故者や、県外からの参加者等、様々な縁でつながり、「地域の絆と協力」を大切に、期間外も積極的に地域行事に取り組んでいます。 |
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一丁目七区
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千代校区の一番東側に位置するのが我々一丁目七区です。旧町名「妙見町」として参加していた時代から、しばらくブランクがありました。一丁目七区としては、昭和56 |
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二丁目三区
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千代二丁目三区(旧町名:西門橋通・南地区)は、御笠川の西門橋、福岡都市高速千代ランプに隣接する地区です。西門橋通として千代流創設時から参加するも町内事情により衰退。昭和59(1984)年、前運営委員の松本忠人、松本俊治両氏と現町相談役の方々を中心に二丁目三区再興にご尽力いただき町内の復活が叶いました。その後、平成 |
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三丁目一区
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千代三丁目1~5番地区で構成する三丁目一区自治会、その役員をはじめ80名余りの精鋭で参加しております。千代流創設当初は個人参加(南地区)、その後、旧町名である千代本町(西水茶屋)で参加しており、当時は流当番制であったため何度も当番町を務めさせていただきました。政令指定都市となった福岡市による住居表示の実施に伴い、町名を三丁目一区へ変更、現在に至ります。 |
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大学通住宅
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石堂橋「通称山笠橋」より大学通り沿いに位置する私ども町内は、大学通三丁目、四丁目、五丁目が三丁目二区と三丁目三区になったのが始まりです。 |
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新博多
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新博多は三丁目四区の町内で構成され、その変遷は昭和25(1950)年千代流発足時に当番町西地区の御国町(千代橋通りの前身)として参加、昭和49(1974)年の町界町名整理により大学通り三丁目と統合し三丁目四区となりました。その後に、住宅地区改良事業により平成元(1989)年に三丁目三区の参加者も加わり新博多住宅1棟・2棟で構成される新たな三丁目四区山笠となり、平成18(2006)年に「新博多」と改名しました。当番町は昭和56(1981)年四番、平成4(1992)年七番、10(1998)年一番、22(2010)年三番、30(2018)年二番を担わせて頂きました。 |
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大津町
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千代三丁目の御笠川(石堂川)沿い、松源寺の隣(旧大津町通り商店街の大部分)が区域の町内。
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三丁目六区
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千代流三丁目六区は、かつて「京町」と呼ばれていた地域で、千代三丁目の西側に位置し、石堂川及び国道3号線に面した場所にあります。地元の方、その親族及び紹介者の方で構成されており、千代流の中では決して大きな町内ではありませんが、伝統を大切にしながらも新しいものを柔軟に取り入れ、少数精鋭の体制で運営を行っています。 |
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千代田住宅
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千代町の中でも御笠川寄りに位置する旧町名:千代田町を前身とし、昭和57 |
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三丁目八区
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三丁目八区は、旧京町の北側を中心とする一部と千鳥本町が合併して成立しました。 |
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四丁目三区
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九大病院通り崇福寺の両脇に四丁目三区は位置しています。以前は「東福町」という名前で参加していました。当時から町内で生まれ育った者より、様々な縁で繋がり参加する者の方が多いという特殊な町内でした。その為か直会での酒量は評判となる程多く、荒っぽいところもありますが、山笠の教えでもある「長幼の序を重んじ礼儀と自己犠牲を厭わぬこと」を基本とし博多祇園山笠の無事奉納の為、研鑽しています。 |
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四丁目四区
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千代流四丁目四区は、旧町名の崇福寺寺新町・東福町・大学通二丁目の一部からなり、崇福寺新町の水法被を持っている長老や東福町の山笠が建った事があるなどの話を聞いた事もあります。新町名に移行後、四丁目四区自治会として山笠に参加したのは、昭和55(1980)年からになります。 参加当初は、不慣れな事も多く運営委員会の方々に丁寧にご指導いただいたと記憶しております。当時は子供の参加も多く子供旗や太鼓の取り合いなども思い出です。平成2(1990)年には四丁目全体で当番町を受けさせていただき大きな経験をさせていただきました。最近は山笠参加者が町内清掃や千代校区体育行事にも協力しながら町内を盛り上げております。 |
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四丁目六区
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千代四丁目六区は、千代中学校の北側に位置し、戸建住宅やワンルームマンションが多い地区であり、旧町名は千代新町でした。これは戦後の復興時に新たに住宅を建築し直していたことから、千代に新しい町が出来たとなり千代新町と名付けられたと当時を知る大先輩からお聞きしました。流舁きの際は、町内に入って直ぐに200m近く続く直線があります。また、人員は20代前半から70代の30名前後で構成されていますが、平均年齢が高く、少子代や晩婚などにより小さい子供がいないことが悩みですが、仲間意識が強い町内です。一時低迷していましたが、有志一同頑張って当番町が出来るまでになり、平成2(1990)年に二番山笠で無事に奉納いたしました。 |
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旭小路
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旭小路は、大学通りから千鳥橋病院へ向かう小路に位置し、九州大学病院に隣接した地区です。その名は、崇福寺の境内に祀られている旭地蔵に由来し、令和6(2024)年よりこの町名を用いて活動を行っております。それ以前は「四丁目七区」として活動を続けてきました。令和七年には、山笠への参加が50年を迎える節目の年となります。 |
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シャルマンコーポ博多
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シャルマンコーポ博多山笠は、マンションが出来た昭和50(1975)年の翌年から、初代自治会長 黒木一夫氏(現流総代)、梅津時盛氏らの尽力で千代流の一員として参加することが出来ました。サラリーマンが多く、締込みから舁き方まで松田勝氏はじめ諸先輩方の指導がありました。10年後の昭和60(1985)年には七番山笠の名誉ある当番町を引き受けました。マンションが当番町となるのは山笠の歴史で初めてと当時の新聞にも紹介されました。山小屋をマンションの前に構え、重責を果たした時の感動は今でも忘れられないと伝えられています。当番町の時に参加した子供たちは流委員・取締となりシャルマンコーポ博多山笠の継承に努力し、令和7(2025)年50周年を迎えます。 |
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美和住宅
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私たち美和住宅は前身である大黒町の頃から山笠に参加させて頂いております。その後、昭和55(1980)年に美和住宅自治会が発足され、数年間は大黒町・美和住宅自治会それぞれでの山笠参加時期が続き、現在では美和住宅として参加するに至っております。 |
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千代東住宅
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千代東住宅は、昭和59(1984)年に団地が完成、旧町名「田町」から「千代東住宅」に町名を変更しました。2・3棟のほか団地内には、集会所や中庭にグラウンドがあり当番町を受けるには、大変恵まれた立地となります。また、山笠期間中の直会では婦人会の皆様が日夜奮闘され腕を振るい、美味しいご馳走を食べさせてくれるのも東住宅の自慢の一つです。 |
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千代団地
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千代団地は東を千鳥橋病院、西を千代東住宅さん、南を千代保育所に囲まれた場所に位置しています。 |
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五丁目六区
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博多祇園山笠への参加は山笠愛好会として始まり、平成2(1990)年より正式に「五丁目六区」として活動を開始しました。町内に住宅が少ないため、千鳥橋病院のスタッフをはじめとする医療従事者も多く、県内外から参加者が集まり運営を行っています。 |
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東浜住宅
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東浜住宅は、国道3号線の外側で「ゆめタウン博多」の南側に位置する、千代流24ヵ町唯一の町内です。平成元(1989)年に愛好会から立ち上がり、翌年より「千代六丁目」として参加し、現在は「東浜住宅」の町名登録で総勢52名が所属しています。歴史は浅くとも、自治会・ごりょんさんの支えもあり、近年では櫛田入りの舁き手・後押し・鼻取りに選ばれる者も増え、着実に歩みを進めています。 |
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六髙住宅
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六髙住宅は博多の頭部に位置し、その歴史は「馬出六丁目米田第三住宅」から始まりました。当初は約50名で活動を開始しました。現在では子どもから大人まで30名程が参加し、地域と共に歩み続けています。もともと六髙住宅は「六髙山笠愛好会」として参加していました。その後、新たに六髙団地として千代流に加わり、現在では六髙住宅として歩みを続けています。 |
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千代小
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千代小学校は、創立138年を迎えた歴史と伝統ある学校です。東公園横に位置し、九大病院内にある院内学級含め、全校約210人で日々勉学に励んでいます。大家族のような学校で、あいさつ日本一・読書量日本一を目指しています。学校生活だけでなく、地域行事にも全力な子どもたち。中でも、全力で取り組む山笠が大好きです。7月初めの子ども山笠では、6年生児童を中心として、「オイサ、オイサ」と声をあげ、千代の街を駆け巡ります。 |
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千代中
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千代中学校は、校訓「千代の誇りを胸に輝く未来 君の手で」を掲げ、昭和22 (1947)年開校から78年の伝統と歴史を誇る中学校である。地下鉄「千代県庁口」を最寄りとする千代四丁目に位置し、全校生徒107名、特別支援学級や九州大学病院内にある院内学級を含む全6学級を有する。山笠期間中は、男性職員も緑色の手拭いを身に着け、大人の山笠に参加する中学生とともに千代流の一員として様々な行事に参加させていただいている。また、郷土の伝統文化を継承する機会としての山笠学習や将来の山笠の担い手を育てる場である子ども山笠の支援を小学校と連携して行っている。 |