各町紹介

 千代流は、千代地区の町内を中心に千代小学校と千代中学校の2校を加えた26の町内で構成されており、 地域のつながりと熱い想いを大切にしながら、毎年山笠行事に参加しています。

 古くから住まれている方々と、近年の開発等により新しくこの地に住まれるようになった人々が肩を並べ、世代を超えて一つの山笠を支える――それが千代流の魅力であり、強さです。
 町内ごとにそれぞれの個性を活かし、しっかりと役割を分担しながら、準備の段階から本番まで、熱気に包まれた夏を迎えます。

 それぞれの町内には、長い歴史や個性があり、山笠への関わり方にも特徴があります。ここでは、千代流を構成する全ての町内をご紹介致します。
 

 

一丁目一区 

一丁目一区

 一丁目一区山笠愛好会は、千代一丁目15番地浅家地蔵尊に拠点を置く58名で構成している町内です。一丁目を拠点とする町内の中でいち早く活動していたそうです。浅家地蔵尊は、黒田藩が斬捨御免にした霊を祀っており、現在も千代町の歴史を伝承する憩いの場です。
 幣町内は、福岡高等学校及び博多青松高等学校の先生を毎年お招きしています。詰所開きや流舁きを通じて学校全体で千代流の文化に直接触れ、山笠の伝統を肌で感じていただいております。
 コロナ禍を経てDX化が進む昨今ですが、幣町内を温かく見守り協力いただける皆様と繋がりを大切に想い、後世に山笠の文化と伝統を語り継いでいきます。

 

眞砂町

 眞砂町

 私たちの町内「眞砂町」は、千代町東部の県道607号線(通称パピヨン通り)から南側に位置しています。代表的な施設として福岡市で唯一のアイススケート場である「オーヴィジョンアイスアリーナ福岡」と「パピオボール」が町内の中心にあり、山笠期間中は同施設の第2駐車場を利用させて頂き詰所を設営しています。
 町内創立時は一丁目二区でしたが、町内役員の要望が強かったことから旧町名の「眞砂町」に変更して現在に至っています。町内役員は約30名と千代流の中でも小さな所帯ですが、これからも少数精鋭を目指し、博多祇園山笠の伝統継承に役員一同頑張って参ります。

一丁目三区

一丁目三区

 千代流一丁目三区は、福岡市博多区千代一丁目のうち、パピヨン24ビルや千代公民館、千代老人いこいの家を中心とした一帯を指します。千代一丁目三区・四区自治会のもと、約70名で構成されており、若手からベテランまで幅広い世代が舁き手として活躍する、高い結束力を持った町内です。
 令和6(2024)年には、初の当番町を務め、事故や熱中症のリスクを未然に防ぐための体制を整えるなど、特に安全対策に力を注ぎました。たくさんの方々のご協力をいただきながら、地域の誇りを胸に山笠を無事奉納することが出来ました。
 今後も町内の一体感と伝統を大切にしながら、山笠文化を次の世代へ力強く継承してまいります。

一丁目六区

一丁目六区

 一丁目六区は、平成3(1991)年に大人7人・子供10人でスタートしました。旧千代荘町を由来とし、現在は一丁目六区自治会・アーベイン東公園自治会の協力の下、運営しています。参加者は、旧千代荘町からの縁故者や、県外からの参加者等、様々な縁でつながり、「地域の絆と協力」を大切に、期間外も積極的に地域行事に取り組んでいます。
 「山笠で礼儀習うて一人前」の精神の下、特に子供達への積極的な参加と育成を重視しています。私たちも時には互いをライバルや家族のように想い、時にはおいちゃん達のお叱りを受けながら成長を遂げてまいりました。
 今後も、山笠の伝統と規律を次世代へ継承しつつ一丁目六区を盛り上げてまいります。

一丁目七区

一丁目七区

 千代校区の一番東側に位置するのが我々一丁目七区です。旧町名「妙見町」として参加していた時代から、しばらくブランクがありました。一丁目七区としては、昭和56
(1981)年に愛好会として参加したのが始まりで、テント一張り小所帯から、現在は約70名が千代森神社境内の詰所に集うまでになりました。直会はいつもごりょんさんたちの愛情のこもった炊き出しを頂いて、大変絆の深い町内です。
 一・二丁目合同で当番町を担ったこともありますが、平成18(2006)年と平成
28(2016)年には、単独で当番町の大役を務めることが出来ました。今後とも繰り返し当番町を任せていただける町内になりたいという心意気で、千代流のために役割を果たして参ります。

二丁目三区

二丁目三区

 千代二丁目三区(旧町名:西門橋通・南地区)は、御笠川の西門橋、福岡都市高速千代ランプに隣接する地区です。西門橋通として千代流創設時から参加するも町内事情により衰退。昭和59(1984)年、前運営委員の松本忠人、松本俊治両氏と現町相談役の方々を中心に二丁目三区再興にご尽力いただき町内の復活が叶いました。その後、平成
13(2001)年、平成21(2009)年、令和元(2019)年と当番町を経験し重責を果たす事が出来ました。
 町内の取り巻く環境は、高齢化、世帯数減少など厳しい状況ですが若手世代へ確実に繋げて行くことと、微力ではありますが町内一丸となって千代流発展に貢献出来るよう取り組んで参りたいと思います。

三丁目一区

三丁目一区

 千代三丁目1~5番地区で構成する三丁目一区自治会、その役員をはじめ80名余りの精鋭で参加しております。千代流創設当初は個人参加(南地区)、その後、旧町名である千代本町(西水茶屋)で参加しており、当時は流当番制であったため何度も当番町を務めさせていただきました。政令指定都市となった福岡市による住居表示の実施に伴い、町名を三丁目一区へ変更、現在に至ります。
 廻り当番制となって以降、昭和61(1986)年、平成8(1996)・15
(2003)・24(2012)年、令和5(2023)年と現在まで五度の当番町の大役を務めさせていただいたところです。
 これから先も初心を忘れず山笠参加者一同が「一心」の下に、山笠運営に邁進して参ります。

大学通住宅

大学通住宅

 石堂橋「通称山笠橋」より大学通り沿いに位置する私ども町内は、大学通三丁目、四丁目、五丁目が三丁目二区と三丁目三区になったのが始まりです。
 また、平成6(1994)年の第六期改良住宅建設事業で旧三丁目二区と三丁目三区が合併して出来ました。正式には、平成11(1999)年に大学通住宅が完成し、三丁目二区として発足いたしました。合併後、初めて平成14(2002)年に総務 福富稔彦を筆頭に四番山笠の当番町を務めさせていただきました。平成20(2008)年には、旧町名の大学通りを残したい思いから三丁目二区改め大学通住宅へ町名を変更いたしました。
 現在、町流委員をはじめ30名程が中心となり、一致団結し町内山笠運営を行っています。

新博多

新博多

 新博多は三丁目四区の町内で構成され、その変遷は昭和25(1950)年千代流発足時に当番町西地区の御国町(千代橋通りの前身)として参加、昭和49(1974)年の町界町名整理により大学通り三丁目と統合し三丁目四区となりました。その後に、住宅地区改良事業により平成元(1989)年に三丁目三区の参加者も加わり新博多住宅1棟・2棟で構成される新たな三丁目四区山笠となり、平成18(2006)年に「新博多」と改名しました。当番町は昭和56(1981)年四番、平成4(1992)年七番、10(1998)年一番、22(2010)年三番、30(2018)年二番を担わせて頂きました。
 これまで町先人の方々の山笠への思い「融和」を継承し、先輩を敬い後進を育成し、礼節を重んじる活気ある町として流に貢献していきたいと存じます。

大津町

大津町

 千代三丁目の御笠川(石堂川)沿い、松源寺の隣(旧大津町通り商店街の大部分)が区域の町内。
 千代流が博多祇園山笠に正式加盟する昭和25(1950)年の前年に「大津流」として参加したとの記載があり、千代流創成期から参加する伝統の町内の一つです。
 運営委員会が主体として運営していた流当番制から各町廻し当番町制に移行した昭和
53(1977)年に当番町を担当してから令和4(2022)年の当番町まで計8回の当番町を経験しております。
 町名については、町名改正が実施された昭和51(1976)年から「三丁目五区」として参加していましたが、令和2(2020)年に旧町名である「大津町」を復活させました。
 第2代運営委員長の梅津高則氏をはじめ3名の委員長を輩出しているとともに、第10代博多祇園山笠振興会会長の豊田侃也氏の所属町内でもあります。
 今後も一志一丸となり、千代流の発展、伝統の継承に努めてまいります。

 

三丁目六区

三丁目六区

 千代流三丁目六区は、かつて「京町」と呼ばれていた地域で、千代三丁目の西側に位置し、石堂川及び国道3号線に面した場所にあります。地元の方、その親族及び紹介者の方で構成されており、千代流の中では決して大きな町内ではありませんが、伝統を大切にしながらも新しいものを柔軟に取り入れ、少数精鋭の体制で運営を行っています。
 これまで、昭和55(1980)年に五番山笠、櫛田神社の式年遷宮が執り行われた平成12(2000)年に六番山笠、平成25(2013)年に七番山笠の当番町を務めました。
 今後も、博多祇園山笠を通じて地域の伝統を守り、住民同士の絆を深めながら、時代を超えてその精神を継承して参ります。

千代田住宅

千代田住宅

 千代町の中でも御笠川寄りに位置する旧町名:千代田町を前身とし、昭和57
(1982)年に千代田住宅として組成されました。
 令和7(2025)年現在で千代田住宅竣工43年を迎えています。
 千代流との関係は古く、初代千代流運営委員会委員長には、千代田住宅の故梅津忠吉氏が就任し、千代流の発展を支えてこられました。
 敬老会や清掃等の町内行事においては山笠メンバーが積極的に参加し町内へ貢献しています。
 町内の山笠運営においては、功労者である諸先輩方から現役世代への助言やサポート等の協力関係が構築され一致団結しています。人間関係が希薄になった現代においても人と人とのつながりを大切にする組織運営により温かな町内づくりを目指しています。

三丁目八区

三丁目八区

 三丁目八区は、旧京町の北側を中心とする一部と千鳥本町が合併して成立しました。
昭和55年(1980年)には市営博多千代住宅2棟・3棟が竣工し、戸建住宅も含め約90世帯で構成されています。少子高齢化に伴い山笠参加者が減少する時期があったものの、新規の参加者も加わり、精力的に活動しています。町内には、延命地蔵尊をお祀りしており、毎年夏祭りを実施しております。年末には山笠若手有志による餅つき大会を開催するなど、町内外の方々に楽しんでいただいています。焼肉玄風館や浜商店、唐揚げ屋の良い匂いに誘われながら、山笠行事をはじめとした町内行事に励んでおります。

四丁目三区

四丁目三区

 九大病院通り崇福寺の両脇に四丁目三区は位置しています。以前は「東福町」という名前で参加していました。当時から町内で生まれ育った者より、様々な縁で繋がり参加する者の方が多いという特殊な町内でした。その為か直会での酒量は評判となる程多く、荒っぽいところもありますが、山笠の教えでもある「長幼の序を重んじ礼儀と自己犠牲を厭わぬこと」を基本とし博多祇園山笠の無事奉納の為、研鑽しています。
 当町詰所には、崇福寺の御住職による「放丈箸」と書かれた揮毫が掛けてあります。「執着や欲を捨て全てを手放しなさい」という仏教の教えです。山笠を舁くことが好きで、伝統と文化の継承の為に我欲を捨て、集まって来る。それが四丁目三区の仲間達です。

四丁目四区

四丁目四区

 千代流四丁目四区は、旧町名の崇福寺寺新町・東福町・大学通二丁目の一部からなり、崇福寺新町の水法被を持っている長老や東福町の山笠が建った事があるなどの話を聞いた事もあります。新町名に移行後、四丁目四区自治会として山笠に参加したのは、昭和55(1980)年からになります。
 参加当初は、不慣れな事も多く運営委員会の方々に丁寧にご指導いただいたと記憶しております。当時は子供の参加も多く子供旗や太鼓の取り合いなども思い出です。平成2(1990)年には四丁目全体で当番町を受けさせていただき大きな経験をさせていただきました。最近は山笠参加者が町内清掃や千代校区体育行事にも協力しながら町内を盛り上げております。
四丁目六区

四丁目六区

 千代四丁目六区は、千代中学校の北側に位置し、戸建住宅やワンルームマンションが多い地区であり、旧町名は千代新町でした。これは戦後の復興時に新たに住宅を建築し直していたことから、千代に新しい町が出来たとなり千代新町と名付けられたと当時を知る大先輩からお聞きしました。流舁きの際は、町内に入って直ぐに200m近く続く直線があります。また、人員は20代前半から70代の30名前後で構成されていますが、平均年齢が高く、少子代や晩婚などにより小さい子供がいないことが悩みですが、仲間意識が強い町内です。一時低迷していましたが、有志一同頑張って当番町が出来るまでになり、平成2(1990)年に二番山笠で無事に奉納いたしました。

旭小路

旭小路

 旭小路は、大学通りから千鳥橋病院へ向かう小路に位置し、九州大学病院に隣接した地区です。その名は、崇福寺の境内に祀られている旭地蔵に由来し、令和6(2024)年よりこの町名を用いて活動を行っております。それ以前は「四丁目七区」として活動を続けてきました。令和七年には、山笠への参加が50年を迎える節目の年となります。
 現在、旭小路には約60名が所属しており、結成当時からの参加者の子や孫を中心に、地区外からの新たな参加者も数多く加わっています。年齢層や役割も幅広く、多世代が協力し合い、まるで一つの大家族のような温かさと強い結束力を誇る町内です。

シャルマンコーポ博多

シャルマンコーポ博多

 シャルマンコーポ博多山笠は、マンションが出来た昭和50(1975)年の翌年から、初代自治会長 黒木一夫氏(現流総代)、梅津時盛氏らの尽力で千代流の一員として参加することが出来ました。サラリーマンが多く、締込みから舁き方まで松田勝氏はじめ諸先輩方の指導がありました。10年後の昭和60(1985)年には七番山笠の名誉ある当番町を引き受けました。マンションが当番町となるのは山笠の歴史で初めてと当時の新聞にも紹介されました。山小屋をマンションの前に構え、重責を果たした時の感動は今でも忘れられないと伝えられています。当番町の時に参加した子供たちは流委員・取締となりシャルマンコーポ博多山笠の継承に努力し、令和7(2025)年50周年を迎えます。
美和住宅

美和住宅

 私たち美和住宅は前身である大黒町の頃から山笠に参加させて頂いております。その後、昭和55(1980)年に美和住宅自治会が発足され、数年間は大黒町・美和住宅自治会それぞれでの山笠参加時期が続き、現在では美和住宅として参加するに至っております。
 また、平成18(2006)年には美和住宅自治会と山笠参加者とで積極的に山笠に参加できるように若美和会を設立して、山笠行事をはじめ千代校区行事を頑張っております。
 美和住宅の特色としては、直会の美和住宅のイメージのとおり常に一仕事一直会を行い、一年中、山笠話で盛り上がり山笠を楽しんでおります。

千代東住宅

千代東住宅

 千代東住宅は、昭和59(1984)年に団地が完成、旧町名「田町」から「千代東住宅」に町名を変更しました。2・3棟のほか団地内には、集会所や中庭にグラウンドがあり当番町を受けるには、大変恵まれた立地となります。また、山笠期間中の直会では婦人会の皆様が日夜奮闘され腕を振るい、美味しいご馳走を食べさせてくれるのも東住宅の自慢の一つです。
 令和7(2025)年四番山笠の当番を受け、昭和62(1987)年の五番山笠「天晴快男児」から継承のなか当番町を一巡する事が叶いました。これもひとえに地域の皆さまのご支援の賜物と感謝致しております。
 今後、少子化で参加人数も厳しい時代が訪れることも想定されますが、これからも諸先輩方が築かれたこの町内を未来永劫、引き継ぎたいと決意する次第です。

千代団地

千代団地

 千代団地は東を千鳥橋病院、西を千代東住宅さん、南を千代保育所に囲まれた場所に位置しています。
 昭和30年代前半に、校区に初めて建設された鉄筋造りの市営住宅で、5階建2棟、9階建、現在の10階建と2度の建て替えを経て現在に至ります。
 世帯数は85と規模は小さく、高齢化も進んでおりますが、団地在住者のみならず参加者も増え、若手同士も仲が良く、活気ある状態でチームワークを取りながら頑張っています。
 今後も老若一丸となり、元気に奉納を続けていきたいと思っております。

五丁目六区

五丁目六区

 博多祇園山笠への参加は山笠愛好会として始まり、平成2(1990)年より正式に「五丁目六区」として活動を開始しました。町内に住宅が少ないため、千鳥橋病院のスタッフをはじめとする医療従事者も多く、県内外から参加者が集まり運営を行っています。
 千鳥橋病院・千代保育所のご協力のもと、町内詰所を構え、奉賀板も設置しております。6月1日の祇園寄りの後には、吉塚の「焼肉じゅじゅ亭」にて町内総会を開催し、山笠参加者の結束を深めています。
 山笠奉納をはじめ、安全第一、伝統の継承、人が集う楽しい町内を目指して日々奮闘中です。また年間を通じて運動会やソフトボール大会、清掃活動など地域行事にも積極的に参加しています。

東浜住宅

東浜住宅

 東浜住宅は、国道3号線の外側で「ゆめタウン博多」の南側に位置する、千代流24ヵ町唯一の町内です。平成元(1989)年に愛好会から立ち上がり、翌年より「千代六丁目」として参加し、現在は「東浜住宅」の町名登録で総勢52名が所属しています。歴史は浅くとも、自治会・ごりょんさんの支えもあり、近年では櫛田入りの舁き手・後押し・鼻取りに選ばれる者も増え、着実に歩みを進めています。
 さらに今後は、東浜住宅一丸となって当番町に推奨して頂けるような町内を目指し、千代流を牽引できる町内へ切磋琢磨していきます。
 勇壮な山笠を舁く千代流の一町内として山笠にかける情熱を胸に、これから先の課題である「若手の育成」を重視し、博多の誇る伝統文化の魅力を次世代へ継承していきます。

六髙住宅

六髙住宅

 六髙住宅は博多の頭部に位置し、その歴史は「馬出六丁目米田第三住宅」から始まりました。当初は約50名で活動を開始しました。現在では子どもから大人まで30名程が参加し、地域と共に歩み続けています。もともと六髙住宅は「六髙山笠愛好会」として参加していました。その後、新たに六髙団地として千代流に加わり、現在では六髙住宅として歩みを続けています。
 長い歴史の中で、様々な紆余曲折を乗り越えながらも築き上げてきた「伝統」と「今」を大切に受け継ぎ、世代を超えた結びつきと地域の一体感を育みながら、より良い未来へと継承して歩んでいることが大きな特徴であり、私たちならではの魅力です。

千代小

子ども山笠

 千代小学校は、創立138年を迎えた歴史と伝統ある学校です。東公園横に位置し、九大病院内にある院内学級含め、全校約210人で日々勉学に励んでいます。大家族のような学校で、あいさつ日本一・読書量日本一を目指しています。学校生活だけでなく、地域行事にも全力な子どもたち。中でも、全力で取り組む山笠が大好きです。7月初めの子ども山笠では、6年生児童を中心として、「オイサ、オイサ」と声をあげ、千代の街を駆け巡ります。
 山笠行事を通して、小さな年代から山笠を知り、これからの山笠を盛り上げていけるよう子どもたちと共に職員一同頑張っています。伝統を引き継ぎ、裾野を広げ、未来の山笠の舁き手を育んでいきます。

千代中

 千代中学校は、校訓「千代の誇りを胸に輝く未来 君の手で」を掲げ、昭和22
(1947)年開校から78年の伝統と歴史を誇る中学校である。地下鉄「千代県庁口」を最寄りとする千代四丁目に位置し、全校生徒107名、特別支援学級や九州大学病院内にある院内学級を含む全6学級を有する。山笠期間中は、男性職員も緑色の手拭いを身に着け、大人の山笠に参加する中学生とともに千代流の一員として様々な行事に参加させていただいている。また、郷土の伝統文化を継承する機会としての山笠学習や将来の山笠の担い手を育てる場である子ども山笠の支援を小学校と連携して行っている。